南三陸町緊急支援報告 III (2011年4月29日、30日)

2011年4月29日~30日に南三陸町で被災者支援活動を行いました。今回は樹木葬会員の小林和彦さんと住職のふたりで、公開されている避難所のすべてである39か所を回り、卵の配布と同時に、お風呂の設置に関するモニタリング、各避難所における支援物資の供給状況等のモニタリングを行いました。このモニタリングで現地のさまざまな状況が見えてきました。その点を踏まえて、ご報告をさせていただきます。

会員の小林さんと住職
会員の小林さんと住職
長清水避難所の方が御礼を紙でかいてくれました。
長清水避難所の方が御礼を紙でかいてくれました。

現在、南三陸町内には約6,000人の町民の方が避難所を中心に暮らしています。この他に 別の市町村に集団移住された約2,000人の方がいます。町では集団移住を斡旋していますが、町を離れたくない方が大半のため、集団移住の斡旋を中止することになりました。 住民の方が町を離れたくない理由は、(1)多くが漁を生業としているため、海岸近くに生活に愛着が強く、他の地域には移りたくないとのこと。(2)いまだ行方不明の関係者がいる方が多いということ。家族や兄弟姉妹、近い親戚まで範囲を広げるとほぼ町民の全員がここに含まれるのは、南三陸町の人口の半分が亡くなったということからも推測できます。また、(3)漁師や水産加工に従事して生計を立てる方がほとんどなので、他の地域で海とは関係ない仕事に就く自信もないし、気持ちもしないということ。(4)一度出てしまうと、戻れなくなるのではという不安があるということ。(5)そのうちに始まる復興の仕事に参加できなくなるということ。(6)子どもが友人たちと離れ離れになるのが忍びないとういこと。このようなことをあちこちの避難所で聞きました。

今回は町民6,000人に対して卵を各1個配布する計画で現地に向かいました。実際には9,500個用意して、レンタカーのライトバンで二日がかりで運びました。1,000人が暮らすような大きい避難所では1,000個渡しますが、20人しかいない避難所に卵20個ではあまり少なすぎるので、3倍の60個を渡すようにしました。

各避難所への卵の配布は今までに1~2回だけだそうで、どこでも大歓迎されました。もう少し多く各避難所に卵を配布したかったのですが、予算と車のスペースの関係から出来なかったのは残念でしたが、南三陸町の各避難所のどこでも卵料理がふるまわれたことになります。その効果からか次の日には南三陸町の役所が出している必要な支援物資一覧に震災後初めて卵が登場しました。それまで卵が支援物資一覧に出なかったのは、役所が生ものの管理を嫌い、被災者の要望に答えなかったのでしょう。とにかくこれで今後は他の団体や個人からも卵の支援が入るのではないかと期待しています。せめて数回は卵の配布をする計画でしたが、その必要もなくなるかもしれません。

卵配布中
卵配布中

現在の町民の食事の状況ですが、避難所で暮らす方。自宅で寝泊まりできる方のうちで、食事は避難所でという方、自宅の庭先で壊れた家の木材を使っての煮炊きをする方に分かれます。ほぼ同数ではないでしょうか。自宅の庭先で壊れた家の木材を使っての煮炊きをする方はほぼ毎日避難所に食材を分けてもらいに行きます。

避難所での調理は女性が担当。一日の三食を大鍋で作っていますから、料理場はいつも大忙しです。時にお昼に支援者が炊き出しに来ますから、その日のお昼はすこし休めるそうです。食事を作る女性が少ない避難所の中には調理での過労のためか、現在では料理ができる自衛隊員に駐屯してもらい、料理をすべて任せてしまったところもありました。どの避難所も自衛隊から炊いた白米は人数分配られるそうです。そのため、食事は白米をおにぎりにして出すだけの時もあるそうです。しかし支援物資は白米やカップめんやレトルト食品、缶づめ中心ですから、長期の避難所生活では体調が崩れることになりそうです。

■ 避難所一覧

入谷小学校
入谷小学校
ユニットバス
ユニットバス
仮設住宅建設
仮設住宅建設

90人が避難所生活をする入谷小学校には、卵を270個配布。ここには仮設トイレを二つつなげたシャワー室が2つ、建設会社が作ってくれました。近くの空き地では仮設住宅の建設が始まっていました。

入谷公民館
入谷公民館
志津川中学校
志津川中学校
中学生がカレー販売
中学生がカレー販売

50人が避難所生活をされている入谷公民館には、卵を150個配布。100人が避難所生活をされる志津川中学校には、卵を300個配布しました。ちょうど復興縁日がこの中学校で行われ、他の町の物産品が格安で販売されていました。中学生もカレーライスを販売。今月9日から学校が再開されます。

輪投げ
輪投げ
グランドに自衛隊駐屯
グランドに自衛隊駐屯

関西から支援で来た方が子ども相手の輪投げコーナーを開いていて、子どもの歓声があがりました。志津川中学校のグランドは自衛隊の駐留地となっており、その先に仮設住宅が建設中でした。中学校の体育館が避難所となっており、その入り口には「避難所のルール」と題された紙が張り出されていました。その中に「自分でできることは自分でしましょう」「すすんで協力しあいましょう」と言う文章がありました。

志津川高校
志津川高校
旭が丘団地
旭が丘団地
仮設住宅
仮設住宅

志津川高校では400人が避難所生活していますが、旭が丘団地には600名が暮らし、食事を食べにくるので、卵は1,500個配布しました。仮設住宅建設中。ここの避難所の責任者が保育士さんでした。今後、この方に避難所の幼児の状況等を聞くと共に協力いただければ、慈しみ基金の子ども支援の具体策を立てることも出来てくるかもしれません。

志津川小学校 
志津川小学校 
港親義会館
港親義会館
炊き出し
炊き出し

志津川小学校に避難されている250名に対して、卵を150個配布。配布数が少ないのは、ここでは食事を自衛隊員が三食作っていて、その数を希望されたという理由からです。

次に向った港親義会館に避難されている方は38人。ここでは大阪のNGOアジア協会がすでに1カ月も駐在して三食炊き出しを続けていました。卵をこの団体に200個提供しました。実はここにいたスタッフと私は面識がありましたので、今後、協力関係を結ぶことも考えられます。

柚木生活センター
柚木生活センター
平磯生活センター
平磯生活センター
寄木民宿
寄木民宿

津川中学校で車に卵が積んであるのを見つけた男性が「卵をくれ」と声をかけてきました。「この卵は避難所に配布するものですので、個人にはお渡しできません」と心苦しい中申しましたら、「それじゃ柚木に行ってくれ」と言われました。避難所の一覧にはそのような避難所はなかったのですが、現実にはそこも避難所になっているとのこと。柚木に行くことを約束して別れました。こうして柚木で卵を150人分、300個を配布しました。
次の平磯生活センター(避難所ハイムメアーズの支援物資保管所)にて250人分、300個を配布しました。
次に寄木の避難所に向かいました。ここは前回あまりにもの悪路であるため訪問を断念したところです。やはりそのような理由からか支援物資を運ぶ団体も個人もほとんどやってこないとのこと。この民宿で奥さんから震災当時の話を詳しく聞きました。この地区には民家が40件あり、津波で高台の13件が残ったとのこと。この地区に通じる海沿いの道が瓦礫で覆われたため孤立。残った家の食料が4日で底をつき、住民100人がその後の一週間は海水につかった家から米を拾い出して、この民宿で煮炊きして過ごしたそうです。

韮の浜集会所
韮の浜集会所
名保保育園
名保保育園
石浜集会所
石浜集会所

韮の浜集会所には避難者はいませんでした。ここは近隣の在宅者への物資の頒布所となっていましたが、だれもいませんでしたので、卵を配布できませんでした。名保保育園には100人が避難所生活されていて、卵は300個配布。
石浜集会所も避難者はいませんでしたが、食事場所として250人の料理を作っています。ここには卵300個を配布しました。

平成の森
平成の森
平成の森の台所 I
平成の森の台所 I
平成の森の台所 II
平成の森の台所 II

平成の森には90人が避難所生活。 卵を300個配布しました。当日は避難者が庭先でバーべキューをしていました。前日が震災から49日目だったということで、ひとつの区切りを超えたということでの行事でしょう。

平成の森の支援物資置き場
平成の森の支援物資置き場
歌津デイサービス
歌津デイサービス
両方の避難者用仮設住宅
両方の避難者用仮設住宅

上の写真の手前に2箱の卵の箱が見えます。すぐ近くに歌津デイサービスがありますが、この避難所から平成の森にご飯を食べにくるとのことで、ここには卵は配りませんでした。

風呂(NGOシビックフォース設営)
風呂(NGOシビックフォース設営)
内部
内部

歌津つつじ園という避難所にはすでに避難者はいませんでしたが、そのすぐ近くの民家が地区の住民のための支援物資の頒布場所になっていました。約100人の地域住民に対して、卵を200個配布しました。またそのお宅にはNGOシビックフォースという民間団体がお風呂を設置しました。前回には見当たらなかったので、一週間前に出来たものでしょう。内部も広々としていました。
天徳寺では今回のモニタリングで風呂設置の可能性を探るのもひとつの目的でしたが、この団体が南三陸町で4つの風呂を設置したそうです。今後もさらに増やすという計画があるそうですから、天徳寺慈しみ基金での風呂設置の支援は必要なさそうです。

歌津中学校
歌津中学校
歌津中学の台所 
歌津中学の台所 
風呂(NGOシビックフォース設営)
風呂(NGOシビックフォース設営)

歌津中学校には300人が避難。450個の卵を配布しました。この中学校にもNGOシビックフォースが作った風呂がありました。屋根付きの駐輪場の一角をベニヤ板で囲ったものでしたが、内部の広さも十分にありそうでした。この日は女性の入浴日でした。やはり男女別の風呂を設置するのは規模的に難しいのでしょう。

馬場中山センター 
馬場中山センター 
センター下で豆の種植え
センター下で豆の種植え
センター脇の新築避難所
センター脇の新築避難所

馬場中山センターには270人の避難者。卵は300個配布。このセンターは避難所で唯一、独自のホームページを開設しています。避難所にいる若者がその役をかってでました。そのためか、各地の団体、個人の支援が訪れているようです。この日も僧侶の団体が炊き出しをするそうです。また、センター脇に新しく避難所をNGO国境なき医師団が建設中。これで窮屈な避難所生活からすこしは解放されそうです。センターの下では豆の種を植えていました。電気も水道もいつ復旧するか分からないこの地に今後もとどまる意欲を感じました。

泊浜生活センター
泊浜生活センター
大上坊生活センター
大上坊生活センター
大上坊の仮設トイレ
大上坊の仮設トイレ

泊浜生活センターの避難者は60人、近隣の住民も含めるとここでは540人が食事をするとのことで卵は300個配布。大上坊は他の避難所から離れた場所にあり、避難者も少ないことから、民間の支援はほとんどこないとのこと。現在はこのセンターの回りの民家18軒に約70人が分散して寝泊まり。センターは支援物資の分配所となっています。避難民自家製のトイレがありました。

石泉生活センター
石泉生活センター
熊田民家
熊田民家
大雄寺
大雄寺

石泉生活センターの避難所には38人。150個の卵を配布。ここも他の避難所から離れたところにあるため、民間の支援が入りづらい様子でした。熊田の民家は周辺の住宅に避難している75名の方の支援物資の頒布所でした。150個の卵を配布しました。大雄寺には40名が避難していました。150個の卵を配布。

林生活センター
林生活センター
林生活センター入口の看板
林生活センター入口の看板
長清水荘
長清水荘

林生活センターには80人が避難していました。近隣の民家の方100人もここに食事にくるというので卵を300個配布。林生活センター入口には「自衛隊、ボランティアの皆さま、ご支援ありがとうございます」という紙看板が貼られていました。長清水荘は民宿ですが、ここに36人が避難。150個の卵を配布。

津の宮生活センター
津の宮生活センター
自然の家
自然の家
寺浜生活センターの物資保管所
寺浜生活センターの物資保管所

津の宮生活センターは周辺の民家16戸に避難している避難民34人の支援物資の頒布所です。ここに150個の卵を配布しました。自然の家には200人が避難。周辺の民家に400人がいるということです。300個を配布。寺浜生活センターの近くの物資保管所には卵を300個配布。

水郷
水郷
藤浜生活センター 
藤浜生活センター 
荒町生活センター
荒町生活センター

水郷地区は生活センターが津波で被災したので、民家を支援物資頒布所にしていました。ここに300個の卵を配布。藤浜生活センターでも300個の卵を配布。荒町生活センターは周辺の民家18戸に避難している方の支援物資頒布所です。ここに300個の卵を配布。

ベイサイドアリーナ 
ベイサイドアリーナ 
アリーナの周辺で遊ぶ子ども 
アリーナの周辺で遊ぶ子ども 

ベイサイドアリーナではちょうどお昼時で、写真でもわかるようにあちこちで、家族が食事をしていました。また子ども達は元気に遊ぶ姿を見せてくれました。ここには1,000人の避難者がいます。南三陸町の最大の避難所で、役所もここに置かれています。さまざまな団体が炊き出しをしていますので、卵は配布しませんでした。

支援物資保管所
支援物資保管所
野菜類の保管コーナー 
野菜類の保管コーナー 
卵が4箱ありました。
卵が4箱ありました。

ベイサイドアリーナの支援物資保管所には物資が積み上げられていました。ここに各避難所の代表のみが物資を取りにくることになっています。おむつやマスクや衣類のコーナーは充分にありましたが、野菜のコーナーはそれほどでも有りませんでした。卵は4箱ありましたが、その内2箱は賞味期限をすでに半月過ぎていました。

今回の訪問で南三陸町の各避難所、そこでの生活を大まかにですが垣間見ることができました。
視察という現地にとっては迷惑な方法ではなく、卵という歓迎される物資を配布したことで、各避難所の感情を害することもなく訪問できたと自負しています。現実の避難所は避難所のリストとは状況がかなり変わっていました。できればもう少し多くの卵を運べたらと思います。せめて被災者に各2個渡ると良いのですが、そうすると約13,000個の卵が必要となります。避難者の中には毎日でも食べたいという方もいました。

また、納豆も食べられないという方もいました。卵や納豆の値段は安いものです。カップラーメンや缶詰めをおかずにご飯を食べるより、高齢者の多い避難所では納豆、卵、豆腐等をおかずにしたほうが良いのでしょう。南三陸町も全国から数億円の義援金が直接届いていますが、それを数が月後にまとめて避難者に配分するのでなく、せめてその中から各避難所に納豆、卵、豆腐等、青野菜だけでも定期的に配る分だけ先に支出しても、そんなに費用はかからないのに、と思います。配布は民間の団体に任せれば。皆、喜んで協力してくれるのではないでしょうか。

避難所のリストでは避難所に200名という記載があっても、実際には50名がそこに残り、 150名は避難所に隣接する震災を逃れた住宅を間借りするという状況が各所でみられまし た。しかし、ここにきて、家の一室を提供する側と借りる側でのトラブルも生じてきていることを耳にしました。貸し手は、町が近隣の市町村にある旅館や研修施設等、個室を提供できる避難所に避難者が移るように斡旋しているのだから、申し込んでほしいという希望があるのですが、住宅を間借りする避難者は南三陸町を離れたくないという思いがあり、申し込みをしぶるということから来るものです。別の家族が同じ母屋で暮らす生活は、期間が長くなると難しいものです。

また卵のことに戻りますが、避難所を卵、納豆などを安く売って回る業者がいれば、重宝がられるでしょう。中には被災者を相手に商売をしているという非難もあるでしょうが、避難者の多くは年金生活者とその家族ですから、現在は年金をおろすことも可能です。卵、納豆、青野菜程度であれば、定期的に購入も可能でしょう。避難所では車を持っている人が約1時間かければ、スーパーに行けるのですが、よほど結束の固い避難所でなければ、その人に買い物を定期的に託すことはできないでしょう。

天徳寺が行商をするわけにはいきませんが、行商に代わるサービスとして買い物代行なら可能性があります。被災地の方をしばらく雇用し、車で定期的に避難所を回り、避難所の各人が必要な物を近隣の市町村のスーパーで買ってきてあげるというものです。これは仮設住宅に避難者が移っても可能です。月一回の卵配布(ひとり2個)で30万円の費用がかかりますから、その費用で買い物代行を全避難所で展開できます。それも毎日の活動ですので、さまざまな情報を得ることにもつながり、天徳寺で集めた支援物資の残りの配布もその便で必要な人に的確に届けられます。また、天徳寺の慈しみ基金の支援対象である「子ども」への支援の方法も見えてくるのではないかと考えます。

前回はお風呂支援を検討して今回の訪問をしましたが、次回の卵配布に際して(5月18日~19日を予定)、買い物代行の支援が効果的な支援であるか。またその体制がつくれるかどうかを検討してみようと考えます。

      天徳寺住職 二神成尊 合掌